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廃墟

クラゲ

海水や淡水にいた頃のクラゲは、ふわふわで曖昧なものだったと聞いています。そうですね……少なくとも、わざわざナイフで切り刻む必要はなかったのでしょう。

クラゲは全て絶滅してしまいました。私たちも、いつか絶滅するのでしょうか?

廃墟

高架の終点からさらに少し北上すると、中心市街地らしき廃墟に突き当たった。もうこれ以上線路は続いていないようだ。たぶんここが今日の目的地ということになるのだろう。さっきの駅の周りのほうが栄えていたような気もするけど、あそこは建物自体がだだっ広くて何だか探索する気が起きない。

「あれ? 街なのに、駅が見当たらないね」

「たぶん、この地下に入ってるのよ。さっきもそうだったでしょ」

りとが、そうだっけ、と首を傾げた。

高架に沿って歩いている途中にも、途中の駅の周りにはいくつか打ち棄てられた施設があった。しかし、駅から少し離れただけで商業施設どころか家すらない荒野が広がっているのにはびっくりする。

どうして離れ離れに街を作って鉄道で繋ぐような真似をしたのかしら。暇を持て余した官僚のダーツゲームか何か?

「ここからは線路が通ってないわ。どこかに廃バスが残っていてもおかしくなさそうね」

「あの橋の上とかで、バスが走ってたのかも」

あっちにも橋があるみたい、と言ってりとが指差す先には大きな陸橋が架かっている。橋の真ん中から石か何かでできた塔が飛び出している不思議なデザインだ。

双眼鏡でよく見ると、街区から街区へ橋が渡されているけれど、車がすれ違うには幅が足りないようにも感じる。バス専用路なのかしら。

「そうかもね。じゃあ、少し休んでから探索を——」

「まり。ここにもくらげがいるみたい!」

屋根の下にあるベンチに腰掛けようとすると、それを遮るようにりとが楽しげな声を上げた。その声に釣られて下を覗き込むと、ベンチの影に張り付くぬめぬめした動きが目に入ってしまう。

「え……きゃあっ!」

うえぇ。片足で地面を蹴ってベンチから離れる。休ませるはずだった身体がこんなに俊敏に動くとは思わなかった。

「きゃあ、だって。まりの悲鳴、可愛いね」

「馬鹿にしてるの?」

随分歩いてきたはずなのに、りとは全く疲れていないかのようにはしゃいでいる。

北に進めば進むほど、建物の隅だとかベンチの下とかに蠢く子犬サイズの謎動物(りとが言うには「くらげ」)が増えてきた気がする。子犬と書くと可愛く感じるけれど、見た目はヌルヌルでテカテカだし、脚がたくさん生えている。生理的な嫌悪感が走ってどうも好きになれない。

もともと彼女のセンスが独特(ときどき微妙)なのは分かっていたことだけど、こういう触手持ちまでカバーしているとは思わなかった。

「はぁ、何だか楽しそうね」

道行く先々にある建物の影に数匹単位で群がっている怪物は、視力に無理をさせれば図鑑に載っていた絶滅したクラゲの姿に見えないこともない。でも、図鑑で見たどのクラゲよりも肉が厚そうで、頭が大きくて、色も不透明な暗い赤色でとても気味が悪い。傘の中央には外周に向かって不規則に黒い模様が入っていて、そういう警告色じみた取り合わせも最悪だ。

「よく見ると結構可愛いよ。頭のあたりとか。白子たちとあんまり変わらなくない?」

「あの子たちはもっとすべすべしてて可愛いわよ!」

って、よりにもよってその警告色が気に入ってるの? こいつは明らかにクラゲじゃないと思うんだけど。そもそも、陸に上がっている時点でクラゲであることを疑うべきじゃない?

「そのクラゲっぽい謎モンスターが、コレクターに高く売れるなら私だって大喜びなんだけど」

「まりはお金の話ばっかりだね。久しぶりに二人で旅行だっていうのに」

りとが冗談めかして肩をすくめる。彼女は旅行のつもりだったらしいけど、一方私は初めから仕事のつもりだ。旅行ならもっとロマンチックで落ち着けるような場所に行きたいわ。

「ふたりは嫌?」

「仲間外れは好きじゃないの」

とは言え、ことこはこういう遠征にあんまり来ない。インドアタイプなのよね。

「ちょっと、りと。今回の目的、ちゃんと分かってる?」

「家賃の工面でしょ? 分かってるって。このくらげを持って帰ればペットショップとかに買ってもらえるかも」

「どうやって持って帰るつもり?」

「それは考えてないけど」

はぁ。即答するりとに、私は嫌な顔をしてみせた。

「そういう奔放なところ、ますますあなたが好きになっちゃいそうだわ!」


橋に上がるのは意外と簡単だった。街の上に通路がもう一つ作られているような感じで、階段を上がってから四方に進むと途中に架かっている橋から街の様子を一望できる。橋を渡った先にもまだ道があるらしく、街全体を探索するのにどれほど掛かるのか考えるとちょっと憂鬱だ。

りとが左右に回って上から写真を撮る。確かに、報告書に載せたらウケが良さそうだ。もうクラゲの写真もいっぱい撮ってるし、これなら追加報酬もあるかもね。

「本当にだだっ広い街だね。もっとコンパクトに作ってくれてもよかったのに」

「土地がいっぱいあるからでしょうね。羨ましいわ」

「昔の人は豊富な資源を持ってても、使い方が下手っぴだね」

無計画に木なんて植えたらこうなるに決まってるよ、と続けた。

りとが下手と称したのは、ぼこぼこに膨れ上がった道路の舗装のことだろう。中央分離帯で区切られた大きな道路には一定間隔で街路樹を植えた跡があり、そこを中心に舗装に亀裂が入って道はもはや使い物にならなくなっていた。

その亀裂を覆うように雑草や小さな木が生えていて、またそこから小さな亀裂が入り始めている。最後には舗装がめくれ上がって、この街を全部覆ってしまうのだろう。

街路樹を植えれば自然を守ったことになるのかしら?

「そもそも、なんでこんなところに街を作ったんだろう」

「あら、クイズ? そうね……あの大きな山が炭鉱だったとか?」

「でも、そんなに人の手が入っているようには見えないよね。そもそも石炭があったのかどうか……

軽く歩いてみたところ、道が縦横に整然と区切られていたり、それなりに計画的に造られた都市であることが窺える。多くの人が住めるように、早くから画一的な住居が密集して建てられてきたみたいだし、まさかここまで衰退するとは誰も思わなかったんじゃないだろうか。

この街にはもう一つ大きな謎がある。

看板、ポスター、案内板……街のあらゆる文字が消えてしまって、ここがどこなのかすら把握できなくなってしまっているのだ。銀色の案内板には、前方に何かがあることを示す矢印だけが残されている。

かろうじて男女が並んだマークや人が走り去るマークが残っているせいで、まるで異国に来たみたい。ことこにフランス語でも教わっておけばよかったわ。

「文字のない街、ねぇ。にわかには信じがたいけど」

わざわざここを選んだってことは、きっと何かの産業があったと思うんだけど。大きな工場もないし、輸送の拠点でもなさそうだし、農業やスローライフでも流行ってたのかしら?

「荒野に急に街が生えるなんて、超常現象の類かも」

「もしそうなら、スクーパーズもびっくりね」

エイリアンは文字がない都市を襲うのかしら?

橋の真ん中を過ぎて緩い坂を下りていく。手帳に「ヴィオール橋→街区ことこ・街区りと」と書き込んだ。こうやって勝手な命名をするの、探検家っぽくて少しだけテンションが上がるかも。

「なに、まり?」

……なんでもないわ」

りとには秘密だけど。


陸橋を二つか三つ渡って、まだ木々に侵食されていない比較的ひらけた場所に出た。そこら中がレンガ風のタイルで舗装されていて、歩くとブーツがコツコツと硬い音を立てる。

辺りを見渡してみると、ここが二階建てのシャッター街に設けられた中庭だと分かる。真ん中に横たわっている茶色く変色した太いパイプは、おそらく遊具だったものだろう。プラスチックにしては長く残っている。あっちは滑り台かしら。

「この街、本当に『おたから』がないわねぇ」

橋を渡ったり戻ったりしながら地図を作る。その中で家賃を工面できそうなレトロ・パーツの類を集めなければならないのだけど、まだ目ぼしいものがクラゲくらいしかない。これが大昔の特撮キャラクターの全自動フィギュアなら、コレクターも挙って買いに来てくれるだろうけど。

地図や報告書の提出で防衛隊から貰えるお金は、毎日クレープを買ったら無くなるくらいのお小遣いレベルだし、このままじゃ帰れないわ。

「どこかに大きなロケットとか、月の石でも落ちていないかしら」

「くらげばっかりだね。飽きてきちゃったかも」

日陰を覗くとほぼ必ずクラゲがいる。初めこそ石を持ち上げてダンゴムシでも探す子供みたいにはしゃいでいたりとも、段々と身体をかがめる回数を減らして歩みを早めていた。一方の私はそろそろ慣れてきたかも、と思った辺りで不意打ちを食らうので、実はあんまり落ち着けずにいる。

陽が傾いてきて少し寒くなってきた。思ったよりも北に来てしまったのかもしれない。

りとがクラゲから目を離しているのは、壁に描かれたグラフィティが増えたせいもあるかもしれない。即席のスプレーアートを見かけては写真を撮っている。確かにこんな落書きは原宿ではめったに見かけなくなったし、デザインも何かのレトロゲーで見たことがある不思議なデザインだ。これがノスタルジーってやつかも。

それにしても、シャッターと見ればお絵かきだなんてここはスラムか何か?

「これ、本当に生きてるのかな?」

りとがこれ、と指差す先には——

「ひゃあっ!」

「まり、慣れないねぇ」

いつの間にか足元にクラゲが近づいていた。ぷるぷると少し震えている。流石に飛んでかわすほどの反応はしなくなったけど、やっぱりこういうのって、そうすぐに慣れるものじゃないでしょう? びっくりホラーは苦手なのよ!

「分かってたなら早く言ってよね!」

辺りが薄暗くなるにつれて、明らかにクラゲの行動範囲が広がっている。やっぱり、陽に当たると表面が乾いちゃうのかしら。不意に襲ってくることはないだろうけど、飛びかかってきたクラゲと熱い口づけを交わすのだけはやめておきたいところね。

そう思いながら、クラゲから距離を取るために私は一歩後ずさった。

「あ、まり」

と、りとが何か言うより先に甲高い音がした。一瞬だったけど、きょむ、と鳴ったようにも聞こえる。私の足先からブーツ越しに嫌な感覚が伝わってくるのと一緒に、ぐちゃ、と湿った音も耳を襲う。

「り、りと。分かってるわよね? 今、私に何が起こってるのか、驚かないように伝えてちょうだい」

「えーとね、まり。もう一匹のくらげが、足の下に……

もう十分よ! 慌てて踏み抜いたクラゲから足をどけると、自重でザクッ、とさらにゼラチン質が裂けてしまう。身体が半分こになったクラゲはじたばたする様子もない。ぐに、と身体が地面に沿って広がったかと思うと、ドロリとした赤い液体になってすっかり原型を留めなくなってしまった。

「あ、クラゲが……

お気に入りのブーツが汚れてしまった。でも、クラゲを踏んじゃったのは私だし。クラゲはたぶん死んでしまったし。

まぁ、足跡が残らなかっただけ良かったかもしれない。こういう痕跡が下手に防衛隊に見つかってしまったら、また無用な破壊行為として警告されてしまうかもしれないのだ。

「くらげって、陸でも案外柔らかいんだね」

「ブーツにネバネバが残っちゃった……あら? これ、何かしら?」

よく見ると、崩壊したクラゲからから黒っぽい粒のようなものがばらばらと零れ落ちている。

「これ、文字だよ。日本語じゃない?」

りとが液化したクラゲを避けて内容物を器用に掬い取った。覗き込んでみると、私達が知っている文字の限りでは「竹」と近い形をしている。不思議なクラゲの内臓は、軽く指の間で擦られただけで音を立ててパリパリと崩れてしまった。

私もそれに倣って遺骸の隅から黒い塊をつまみ上げてみる。力が強かったのか、すぐに潰れて指に黒い跡が残ってしまった。これは「波」という文字だったらしい。

「ほら。こっちは看板のペンキで、そっちは本のインクだよ。たぶん」

「器用なものね」

謎の深い生き物だわ。このクラゲは身体の中に文字を溜め込む性質があるのかしら。文字が栄養なのかも。まるでことこみたいね。

「あんまり文字に統一性がないのね」

日本語だけじゃなくて、アルファベットやテレビで見た外国の映像に映っていたような文字も混じっている。色も大きさもバラバラだし、あんまりセンスの良いクラゲじゃないわ。

「私たちだって、配給日の直前は残り物ごちゃまぜ特製サンドを作るじゃない。それと一緒だよ」

「この街のクラゲも、食糧不足ってことかしら。貧しいのって、ほんと嫌になるわ!」

イワシとフルーツ缶の取り合わせって、本当に最悪よ。

それからりとは「ちょっとスケボーしてくるね」と言って、遊具の周りや段差の横にあるスロープを駆け回り始めた。流石に狭いからエンジンは使わないみたい。

ここに来たときからちょっとうずうずしてると思ったけど、そういうことだったのね。ここまでずっと凸凹で車輪なんて使える場所はなかったもの。

車輪とタイルが擦れる小気味いい音を聞きながら、私はクラゲゼリーの前にしゃがみこんだ。

「すごく良いロケーションね。あんたも、ずっとここを見てたの?」

生きてるって、なんなのかしら。さっきまで蠢いていたはずのどろどろの粘液に、そんなことを思う。

後半へ続く)



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