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メルマガとしてのパトロンサービス

有料版: メルマガとしてのパトロンサービス

「Sugar Jelly」の入稿を終えてから、色々とぼんやりと考えることが増えてきた。

入稿を終えて――とは言ったものの、別に毎日コンスタントに原稿に取り組んでいたわけではない(もしそうなら、もっと長大な作品にできたろう)。けれど、どことなく、こう……いつも追われているようなもやもやした感覚が消えずに心のどこかにあるという状態は、誰もが経験したことがあるだろう(そうだといいな)。休める時に休むのは才能だし、それはメリハリをつけるということでもある。

さて、私が昨年の7月にPatreonのアカウントを開いてから、半年が経った。その当時からいわゆるパトロンサービスは日本でも普及しており、今もその勢いは衰えていない。目に見えない「応援」を「支援」として形にできるサービスは素晴らしいと思うし、私もその力はよく実感している。

その一方で、パトロンサービスでやり取りされているのが本当に「応援」なのかと言われると、かなり疑問を覚えるところだ。

ふるさと納税でAmazonギフト券を返礼品とした自治体が注目を集めた。最近、同じようなことがパトロンサービスでも起こっているのだと思う。

  • 進捗日記を限定公開
  • 発行した同人誌に支援者としてクレジット
  • 高画質版を限定公開
  • 文字入り差分を限定公開
  • 設定画を限定公開
  • オリジナルアクリルキーホルダーを限定販売
  • お礼を込めた描き下ろし同人誌をお届け
  • ……

下に行けば行くほど厳しくなってくる(かな?)。

こうなってくると、応援のためのサービスというよりは、「メルマガ」の新たな形と捉えたほうがよいのかもしれない。有形無形の利益が得られるから、定期的にお金を払っているという構図だ。メールというシステムは既に廃れているのだから、メルマガも形を変えて移り変わっている。

当然、「買って応援」という言葉があるくらいだし、たとえメルマガだったとしても購読するのは「応援」の一形態であるという反論もあるだろう。それもそうだ。返礼品目当てのふるさと納税でも、村は潤うのだし。(でも、そういう人がふるさと納税の返礼品にお熱だったらすごく面白い。)

しかし、普通は「購入」するのなら、その形は分かりやすいほうがよい。分かりやすいというのは、どれに対していくら支払われたかが分かる、ということである。

「購入」をわざわざ月額課金に代えるのは、リボ払い的破滅マインドからくるアイデアだろうか。「薄く払う」という気軽さは、払わせる方から見るととても使いやすい。

多くのパトロンサービスでは、返礼の告知記事であれ応援への感謝記事であれ、個別の記事を「購入」できない。これは、「支援」が「購入」ではなく「応援」であると強調するためのシステム上の欺瞞であろう。眉唾ものの儲け話満載のメルマガでさえ、一定期間内に発行する回数の目安を定めているし、個別の記事を購入できるようになっているものだ。

(ここから個人的な話になる。)実は、このような「購入」の言い換えに過ぎない「応援」は、自由文化作品化活動と非常に相性が悪い。活動下では、成果物は無料で公開されるべきだからである。この問題は我々(変態美少女ふぃろそふぃ。)特有のものであり、多くのクリエイターには当てはまらないけれども。

こういう過熱したふるさと納税的なムーブメントがいつまで続くのかはあまり分からないが、早く終わってほしいなと感じる。

「閲覧数やハートの数は多いけど、ほとんど具体的な感想をもらえないのでやめました」と話すネット小説家のように「パトロンサービスを通じて本当に応援されているのか自信がなくなってきた」と話すクリエイターが出てきたらいいなと思う。そうなってからが本番かもしれない。

小説はその性質から考えて成果物しか出せないし、成果物は無料で公開したい。実のところ、パトロンサービスで大金持ちになりたいわけでもないし、そんなに困っているわけではないけれど、やっぱり生きるのは難しいなと思う。

プロットを公開すればいいのか? 厳しい。

参考

追記: もしかしたら、パトロンサービスはクラウドファンディングからこぼれた出力の受け皿となり、クラウドファンディングが持つ役割の一部を吸収しつつあるのかもしれない。計画性や魅力に欠ける中途半端な出力の(量的な)総体を月額課金のご褒美にするという構図が、現代の需要にフィットしているとも言えそうだ。