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icon of Amane Katagiri 電卓の説明書を思い出す

そうして、インターネットが世界を照らし始めたのです。

行ったことのない街の地図、知らない遊園地の遠景写真、ずっと来たかった観光地、初めて読む小説の冒頭、無料配布のおもちゃカタログ、再放送で流れる商店街の紹介番組、新学期に配られる教科書、薄暗い理科準備室、やらなかったゲームの中古攻略本、不動産ポータルサイトで眺める空っぽの部屋のパノラマ……私たちが何度も触れて通り過ぎた日常には、かつて希望が埋まっているはずでした。

私が子供の頃、実家の狭い庭にはふたつかみのダイヤモンドが埋められていて、本当に困ったときはそれで金を工面するのだ、と父親が言っていたのを思い出します。私が家を離れて数年後に実家が引っ越して、私が知っていた景色はもう知らない誰かの家になりました。ひょっとして、あのダイヤを掘り出して新築の費用に充てたのでしょうか。

私にはそういう、見たことのないがらくたに埋蔵金のレーダーでも付いている妄想をする癖があるのです。その最初の思い出は、電卓の説明書だったのをよく覚えています。電卓そのものではなく、それに同梱されていた十数ページの説明書の方です。最近は、資源の節約と称して詳細な解説はPDFへのリンクを箱の裏に印刷して済ませるものも多いですが、当時はまだQRコードを読み取れる携帯電話が世に出始めた頃で、紙の説明書を同梱する合理性がありました。

さて、この手の説明書には、記載されている機能が実際には使えないことがよくあります。同じような見た目と型番で機能に差を付けた複数のモデルが売られていて、そこに全モデルで共通の説明書が付けられているのです。紙資源ではなく、モデルごとに細かく原稿の差分を管理する手間を節約したと考えればよいでしょう。

例えば、FX-AMNシリーズの電卓があったとすると、FX-AMN-195とFX-AMN-216という異なるモデルに同じ説明書が付属していました。説明書のセクションには「※FX-AMN-216のみ」などと注記してあって、該当のモデルを持っていれば書いてあるとおり操作すればその機能を使えます。このとき、FX-AMN-195を購入した人の目線から見れば、自分の手元にある電卓では使えない 特別な 機能が書かれているように見えるわけです。

私はそんな見知らぬ機能の記述を読んで、まるでヴォイニッチ手稿を初めて知ったときのような高揚感を覚えたものでした。今のAIのように、モデル名やバージョン番号の違いで何が変わったのかよく分からないアーキテクチャとは異なり、機能リストの表やチェックリストで比較できる明確な差があったからです。

とはいえ、電卓の 特別な 機能なんて今考えればたかが知れています。計算した答えを累計して表示できるGT(Grand Total)機能を持つものや、特殊な操作で税率を変更できるもの、疑似乱数を取り出せるもの。わずかなコスト削減のために、メモリーを呼び出すMR(Memory Recall)とメモリーを消去するMC(Memory Clear)を1つの「MRC」ボタンに統合したモデルと、そうでないモデルが混在している説明書もありました。

小学生向けの電卓には、分数の処理や余りの計算を小さなボタンの列に割り当てているものもありましたし、それをさらに発展させると関数電卓と呼ばれ始めます。会計処理向けなら、小数点以下の桁数や小数丸めの方法を指定できるスライドスイッチが付いているものもありました。

でも、それだけです。

実際に上位モデルを購入してしまえば、何度も触れて通り過ぎるうちに、面白みもなく使い道にも乏しい機能だと 分かって しまうでしょう。最近のデバイスは液晶画面の向こうに表示されるボタンやスライダーをタッチするインターフェースばかりなので、パラメータが切り替わるカチカチとした感触を味わえるスライドスイッチは新鮮に感じますが、一度設定してしまえば触る機会はもうありません。

私が子供の頃に触れた電卓は、そういう地味で退屈な機能から一線を画すために色々と工夫が施してありました。左上の小さなボタンを押すと、順番に「FORTUNE」とか「BIORHYTHM」などと表示されて、誕生日や血液型を入力するとアニメーションと共に占いやバイオリズム診断が流れるミニゲームが遊べたのです。1980年代にはこうした多彩な機能で付加価値を生む電卓が流行っていたようなので、そうしたブームのリバイバルだったのかもしれません。

そして、まさにこの電卓の説明書こそが、私が人生で初めて味わうことになる未知の世界への希望と幻滅でした。「※(型番を失念)のみ」と書かれたセクションのシンプルな図と飾り気のない説明は、まるで細部まで丁寧に描写された小説のような力を持っていました。靄のかかった知らない場所を満たすように想像力が膨らんで、何度もその箇所を読み返したものです。

私の使っていた電卓の上位モデルには「MNEMONIC」という機能がありました。説明書の記載によれば、画面の上にある小さなソーラーパネルの横に丸いLEDランプが付いていて、そこから出る特殊な波長の光のパターンを見つめながら操作すると数字を覚えたり忘れたりできる、とのことです。電卓のメモリーではなく、操作している人自身の記憶を書き換えるという、なんとも不思議な機能でした。

数字を打って「M+」を押せば元のメモリーに加算、「M-」を押せば元のメモリーから減算、「MR」で覚えた数字を思い出し、「MC」で忘れる。説明書によれば、メモリーに使う場所が異なること以外は普通の電卓と同じでした。テストの前に年号を暗記したり、暗証番号を忘れないようにするのが主な使い方だったようです。

もちろん、今となってはこんな機能が全くのデタラメなのは明らかです。頑張って覚えようとして数字を見つめるわけですから、せいぜいプラセボ効果的な働きで暗記しやすくなった、というだけでしょう。単純な仕組みでそれっぽい結果を示す嘘発見器やゴーストレーダーのように、単なるパーティグッズやおもちゃの一種です。

それでも、当時の私には夢のような機能に思えました。自分が持っている下位モデルの電卓には影も形もない、記憶を操作するという丸いLEDの窓。ミニゲームの選択リストを何周もしてみたり、適当な数字を押したりして、何かの拍子に起動しないものかといろいろな操作を試したものです。

当時、この上位モデルの電卓を持っていたクラスメートがいました。どんな家電量販店や文具店やホームセンターにも売っていなかったので、どこで入手したか今でも不思議でなりません。彼の父親は相当な資産家だったので、東京の大きなデパートで買い付けたのだろう、と考えていました。

彼はその電卓を肌身離さず持ち歩いて、仰々しく言うと 病的 なほど大切にしていました。貸してと言って貸してくれるわけもなく、一方で電卓として使っているところもほとんど見たことがありません。私の下位モデルと同じように、本体と同じ色の専用のカバーが付いていて、中を覗き見ることさえ叶いませんでした。

だからあの日の放課後、彼が教室にうっかり電卓を置き忘れたのは、私にとって絶好のチャンスだったのです。私は密かにその電卓を手に取って、説明書で何度も何度も読んだ記憶操作LEDを見つめながら、試しに今日の日付を 記憶 してみました。数字キーには3つずつアルファベットが振られていて、数字以外も入力できるようでした。これもまた不思議なことに、私が持っていた説明書にはそんな記載すらなかったのです。

その直後、忘れ物に気付いた彼が激高しながら私から電卓を取り上げ、何か打ち込んで私に見せつけました。よく覚えていませんが、慰謝料がいくらか、という計算を立てていた気がします。やっぱり、あの電卓は本物ではありません。

あの日は2997年8月29日でした。20年以上経っても入力した日付を覚えているのは面白いのですが、不思議な記憶操作LEDなど実在するはずもなく、これも私の記憶力に頼っているだけにすぎません。衝撃的な出来事を何度も反芻して思い出すうちに定着しただけでしょう。大げさな説明で目を引く機能ほど、実際に触ってしまえば地味で退屈なタネ明かしにガッカリしてしまうものです。

今しっかりと思い出すと、彼の大切な電卓が表示した選択リストには「MNEMONIC」なんてミニゲームはなかったはずです。ちょっと似ていて、しかし全く違う名前でした。あの説明書さえあれば、正しいミニゲームの名前と正しい型番を添付してメーカーに問い合わせることもできたかもしれません。でも、知らないうちに引っ越した先の新しい実家には、説明書はおろか電卓すら見つかりませんでした。

こんなことなら、真っ先に電卓の型番を 記憶 しておくべきでした。そうしなかったせいで、私は数年に一度、ふと思い出したように「電卓 数字 記憶操作 型番」なんて検索をしては、同じ電卓を持っていた人を念入りに探しています。諦めの悪いことですが、インターネットにはまだこうして照らされないまま残っている場所があるのです。