This site is an archive of ama.ne.jp.

イングリッシュ・ブルーベルの香りによせて

今年に入ってから煙に触れる機会――特に、家でお香を焚く機会が増えていて、短いまたは長いスティック型か、数センチ程度のコーン型のものをいくつか揃えている。比較的細長い練った香であれば線香と呼ぶのが適当だろうが、SATYA サイババ ナグチャンパは細い竹ひごに香料が塗りつけてある製品で、線香とはちょっとイメージが違う。全長が5cmくらいのごく短いのも、そうだ。魔導書っぽいデザインの大きい缶を入れ物にしているので、そこから取り出すとまるでマジックアイテムである。

魔導書を模した缶の外観を本の背側から撮影した様子

魔導書を模した缶を本と同じように表紙から開き、中にお香が収納されている様子

箱を重ねた様子を接写してみると、ミニチュアのボードゲームを積んでいるようにも見える。これはHEMというインドを代表するインセンスメーカーのもので、この小さな箱にはコーン型のお香がそれぞれ10個くらいずつ入っている。アジア系の食材店やエスニック系の雑貨屋の隅ではしばしば見かけるもので、安くてかさばらないのが狭い店内の商品配置に好まれるのだろう。コンビニの一口ようかんのような存在といえる。

HEMのお香が入った小箱が2つの山に5箱ずつ積み上げられて、その周囲にたくさんのサイコロが散らばっている様子

私が初めてHEM製のお香を手に入れたのも、ちょうど中華街の外れにあった小さな雑貨店で、名前に惹かれて買った阿片(オピウム)大麻(カナビス)を交互に焚いたものだ。いずれも香りが大味で強い上に、煙がもくもく出てくるので健康によい感じはしない。私としてはたくさんの煙にまみれる感じが インドっぽくて 好きだし、いかにも大量の香りを噴き上げているのが一目で分かるのは明快で気持ちがよい。もちろん体質に合わない人もいるだろうし、初めてなら一箱だけ買って試すべきだと思う1

今のところ、家に揃えているのは直接火を付けて煙を焚くお香だけだ。しかし、世の中には間接的に温めて香りを楽しむお香もある。練香とか印香(あるいは香木そのもの)は、灰に埋めた炭やセラミックヒーターの熱で煙を借りずに香りを広げるという。こういうヒーターを備えた香炉を「電子香炉」と呼ぶわけだが、この名前だけ聞くとなんだか 誤った 日本文化とサイバーパンクが合体した近未来SFの気配がする。アニリン・パープルの合成香料がスターラーにかき回されてごぽごぽと泡を立てているような……あるいは、怪レい激安通販で虹色に光る変なヒーターが大量に売られていたのを、昨日見かけた気がする。

そんな胡乱な言葉の響きとは異なり、電子香炉はそれなりにしっかりしたお香でしか使えないものだ。日本香堂の電子香炉sizuroには、香木や練香に並んで線香にも使えるような記載があるものの、その下には「よい香原料でつくられたお線香やお香は、火をつけず、間接加熱でもよい香りが空間に広がります」とあって、HEMのような安いお香は対象ではないよ!と暗に釘を刺している。綺麗で繊細で、丁寧である。

さて、日本香堂の話が出たので、最近気に入っている線香についてもう少し紹介しようと思う。伽羅荷葉伽羅富嶽伽羅富嶽 宙天(12万円・24万円・55万円の3段階進化だ!)のような自慢できるラインナップはないのだけど、これらと同じ日本香堂製の線香で花風PLATINA ブルーベルというものをよく使っている。これは「生花そのものの香りを伝えることに力を注いだ創香が特長」という花風PLATINAシリーズの第2弾で、イングリッシュ・ブルーベルの香りを再現した「ワンランク上のお線香」である。細い煙が揺らめくイメージを持たせただろうロゴタイプを見ると、なんとなくワープロ明朝のような倍角を思い浮かべてしまう。

私は香りを言葉で表現するのはそんなに得意ではないので、いったん公式サイトの説明を引用してみると、こうだ:

古代の森で咲きそろうイングリッシュ・ブルーベル。
イギリス原産の青い釣鐘型の可憐な姿で、ブルーベルの森には妖精がいると言われます。
イギリスで春の訪れを知らせるこの花の香りは、ヒヤシンスのようなグリーン感が印象的で、ミュゲのような清潔感と花の蜜のような甘さを放ちます。

香りはじめはシトラスのような爽やかさを含み、次第に、ブルーベルらしい、花の蜜のような甘さのフローラルの香りとナチュラルなりーフィーグリーンの香りが姿をみせ、香り全体を支えます。
そして、わずかなスパイシーさで花の香りに深みを与えて調和します。

花風PLATINA ブルーベル|日本香堂公式

そんな説明を読みながらもう一本ブルーベルを焚いてみる。なるほど、線香の煙たい香りに巻き付くように爽やかさと甘さ、さらに内側から草っぽいスパイシーな刺激が姿を見せた……ような気がする。フローラルな甘さだけで言えばまだ火のない線香の束が最も強くて、ここに熱を与えることで他の香りが立ち上って複雑な印象を形作るのだと思う。火を着ける前はのっぺりして単調な花の香りしかなかったところに、煙と共に影が落ちて立体的な姿を見せるわけだ。開発ストーリーに「繊細な花の香りを熱して香らせるお線香に再現することは難しく」とある通り、絶妙なバランスを探求し続けなければ生み出すことはできない貴重な香りである。

イングリッシュ・ブルーベルの香りを謳う線香は、最近まで少なくとも日本には普及していなかった2ようだが、なぜか私はこの香りで中学時代を思い出してしまう。それは、水越さんのことだ。

小学生や中学生の同級生で、なんとなく煙たいような、ちょっと落ち着くような、不思議な匂いのする子はいなかっただろうか? あれは、おそらく家で焚いていた線香の香りが制服や髪に移って染み付いたもので、水越さんもそういう子だった。中学生くらいの感覚では、爽やかな匂いの制汗剤や甘ったるいリップクリームのようにまっすぐな香りが好まれていて、ブルーベルの線香で言えば、火を着ける前の花の香りこそ王道であった。ちょっと複雑で奥深い香りからは誰もが距離を置いていて、むしろそういう属性を大げさに取り上げたクラスメートに「おばあちゃんみたい」と嘲笑され、あるいは明示的にいじめられていたものだ。

人の匂いを指摘するというのは、本来はかなりプライベートなやり方である。社会的な要請の下では、相手に臭いとかよい匂いだと表明するのはごく限られたコンテキストでしか許されない。いや、匂いだけではなくて、人に対して評価を下すのはもともとある種の加害性を孕みうるものだ。当人が指摘された部分を意識していなければ特に、その言葉は戸惑いとinvasiveな嫌悪感を生んでしまう。無難な香りの柔軟剤に言及すること、ありふれた虹彩の色に特別さを見出すこと、適当に選んだ眼鏡のセンスを褒めること、またはけなすこと。

実際のところ、人の匂い(特によい匂い)を形作っているのはあくまで人工物のボディソープやシャンプー、コンディショナー、トリートメント、ボディクリーム、制汗剤、デオドラント、衣料用洗剤、香水などの組み合わせの結果であって、その人固有の生物学的分泌による影響はそう強くない。中学まで一緒だった仲のいい友達の服の匂いが突然強烈な人工香料に変わったのは、コストコで売っているダウニーの3.83Lボトルのせいだし、高校で同じ部活だった姉弟が同じ匂いだったのも同じ理由である。

ともあれ、水越さんもそういう外因的な理由で線香の香りを抱えていた。線香といっても伝統的な白檀ではなく、白く煙たい花畑を手探りで歩いているような、まさに今嗅いでいるブルーベルの香りである。中学生の頃の私はこういう匂いに固有の色の感覚を覚えていたものだが、それらの匂い-色の記憶をその共感覚ごとすっかり失ってしまった。あの匂いは深い青だったかもしれない、というかすかな記憶は花風PLATINAのパッケージが作り出した偽の記憶だ。十数年前のことなのでブルーベルそのもののはずはなく、複合的な理由で立ち上った虚像のシルエットをなぞっているにすぎない。

水越さんの家が線香の煙に包まれているのを知っているのは、一度だけ家に遊びに行ったことがあるからだ。午前授業の日に一人で留守番するのが不安だったから、偶然教室に残っていた水越さんの家に遊びに行くことになったとか、いずれにせよ取るに足りないきっかけだった。だから再び水越さんの家を訪れたり、あるいは水越さんが私の家を訪れるような仲にはならなかった。

あの家で焚かれていたのは白檀の線香ではなかったはずで、しかし水越さんの匂いとも違っていた。確かに仏壇に置かれていたのは見たことのない箱だったが、そもそも線香自体もCMで見かける毎日香くらいしか知らなかったので、どんな模様が描かれていたのかは覚えていない。当時の私は線香にもいろいろな種類があることさえ知らなかったし、一緒くたに「線香の匂い」と言語化してしまった記憶は、既に具体的なイメージをごっそり捨て去ったわずかな残渣に過ぎない。

水越さんは祖母と母親と4つ上の兄と一緒に暮らしていて、父親は単身赴任していると言っていた。おばあさんはおしゃべりが好きな人で、孫が連れてきた友達を珍しがっていろいろな話を聞かせてくれた。ジサマ(おじいさん――水越さんの祖父のことだ)は神社のたたりで死んだ、と頻りに繰り返すのを水越さんが必死で遮って、私をさっさと部屋に連れて行こうとしたのがよく印象に残っている。こんなに大きな声が出せるんだ、と思ったから。でも、水越さんの祖父がとある公共事業の一貫で、反対を押し切って古くからの神社が建つ山を切り崩したことと、その直後の急死を結び付けた噂は、おばあさんから聞かずとも地元では有名だった。

水越さんの部屋は、畳の上にくすんだピンク色のカーペットを敷いたあまり日の当たらない位置にあった。その部屋もやはり線香の匂いがすっかり染み付いてしまって、淡いアラベスク模様の紙クロスは煙に沈めたようにくすんでいた。古めかしい四角の吊り下げ灯を引くと、剥き出しの蛍光灯から真っ白い光が刺すように降り注ぐけれど、丸い蛍光管では部屋の隅まで照らしきれない。小さなソファに二人で座って、3DSの子犬を育てるゲームを代わりばんこでプレイした。それと、帰りに本を貸してもらった。山田悠介だったと思う。

それから半年ほど経って、私は水越さんからあの煙と花の匂いがしなくなっていることに気づいた。代わりに、すれ違うとやっと感じられるくらいのほんのりとしたシトラスとフローラルっぽい――黄色とピンクの中間にある淡い色の――香りが水越さんを包んでいたのだ。もともと私は水越さんにお線香の匂いがするね、なんて言ったことはなかったし、そんな軽口を叩くような仲でもない。その おばあちゃんみたい な匂いが理由でいじめの対象になっていたのもあって、たとえ好意的な評価であっても口に出すのは躊躇われた。

だから、そんな水越さんが よく意識して 香りを纏っているのがどうしても気になって、突然こう尋ねたものだった。

「そのコロン、フェアロープの新作のやつだよね。ミルコで買ったの?」

「ううん、違うよ。お父さんがプレゼントって買ってよこしたの」

「お父さん? あ、やっと帰ってきたんだ」

「うん……おばあちゃんが死んじゃって。転勤が取りやめになったみたい」

水越さんがおばあさんのお葬式で数日間学校を休んだのは知っていたけど、お父さんの単身赴任が取りやめになることとの間に、全く論理的な繋がりを見出していなかった。少し考えれば当然のことだが、当時の中学で流行っていた文句で言えば「風と桶屋」だった。私が何も言えなくなったのを見て、水越さんは少し焦ったのだろう。その場をやり過ごすだけの無理な笑顔を作るみたいに、わざと自虐しておどけるように言葉を続けた。

「私、ずっと煙たい匂いでみんな嫌がってたみたいだし。どう? こんなの似合わないかな?」

「えっ、そんなことないよ! すごくいい匂いだったから、それで……」

それから二言三言、水越さんが纏ったフェアロの香水について褒めたと思う。よい香りがすること、おそらくこれは校則に抵触しない範囲であること、お父さんのセンスがよほど素晴らしいものであること。水越さんはきっとお店の人に聞いて買っただけだよ、と答えながら少し照れていた気がする。誰が言っても同じ、どうでもいいことだった。線香の匂いの水越さんも好きだったよ、なんて言えたら私たちはもう少し近づけただろうか。水越さんは、どんな顔で私を見つめただろうか。

ブルーベルの線香が燃え尽きて、鈍い青紫色の煙が部屋に溶け込んでいく。あの頃、水越さんを包んでいた神秘的な煙がどんな色の匂いだったかは、もう思い出せなくなっていた。


  1. HEMは一箱あたりの単価が安いので、ネット通販では数箱~十数箱のセット売りをよく見かける。お得に見えるが、HEMの煙が身体に合わなければ結局高く付いてしまう。 

  2. 日本初※、「妖精の花」イングリッシュ・ブルーベルの神秘的な香りを再現したお線香「花風PLATINA BlueBell」を新発売 | 株式会社日本香堂のプレスリリース