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時折、マゾヒストの精神はどこから来るのかということを考えたくなる。

世の中にはたくさんのマゾヒストがいるけれど、私の場合は単に女性という存在に圧倒されたいと思っているらしい。理屈はどうでもいい。設定を言葉通りに脳内に展開して独り相撲を取って派手に負ける、そういう馬鹿正直で惨めな遊びが好きなのだ。「女子が男子に性的なお仕置きを行う学校」なら私は無力感を感じながら甘んじてお仕置きを受けるし、「全ての男を魅了する魅力を持つ脚」ならば大量の金品を貢いででもその脚に触れようとするだろう。

そういう遊びをする時に、現実の感覚は邪魔になる。法律、常識、時間。そういう概念はブランクにしておいて、必要な時に埋めればよろしい。

私の中の若年女王様は歳を取らない。学校に通っているにも関わらず毎日のように調教を重ね、多数寄ってくるマゾヒストたちの一人である私を全て見透かして、全ての財を捧げるように仕向けるのだ。彼女が女子大生になってSM風俗でバイトを始めることも、人妻になって隣人の独身男性を責めるのも、私の表明なしにはあり得ない。

オナクラのサディスト嬢は歳を取るのだろうか。彼女はいつまでマゾヒストたちを蔑んで日銭を稼いでいくのだろうか。きっと私が許可しないまま、オナクラを引退し、人妻になり、熟女になり、老婆になって昔を懐かしむのだろう。

かのAV女優は死ぬまで処女で居続けるのだろうか。処女喪失の回数よりも皺の数が増えても、彼女はカメラに向かって媚び続けていられるのだろうか。やはり彼女も、勝手に歳を取って人間らしい生活を獲得していくのだろう。

永遠がない世界で、私は永遠の隷属を誓うことができない。

だから私は、テキスト・データに潜り込んでいく。そこでは永遠だって自由に定義できる。私は派手な敗北を喫せるように舞台を整えて独りよがりな負け戦に望むのだ。

イメージやオーディオも悪くはないが、それらがテキスト化できるならテキスト・データに耽溺していくことだろう。おそらく私がイメージやオーディオに感じる興奮は、そのエッセンスをテキスト・データに抽出しても変わらないものだから。

少ない情報は私に自由をくれる。最近マゾヒスト向けのADVゲームを購入したが、おそらく興奮の最高潮はプレイ前の今この時なのだ。