前半から続く。
このラブホパネルは、見て分かる通りCOVID-19の感染対策のために作られている。本来は、自動販売機のように人手を介さずに作品を排出するシステムを想定していたが、制作時間の都合と今後の展望を考慮し、今回は感染対策の徹底を果たせる段階で終えることにした。
感染対策の徹底という目的だけなら、他にもいくつか策があると思う。しかも、そのほとんどはラブホパネルを作るよりも簡単である。しかしながら、ビロビロした安っぽいビニールを目の前に吊るすのは(実はあなたが思っている以上に)ダサいし、キャッシュレス決済は出店者全員がせーの!で導入しない限りは来場者に面倒を強いることになる。
同人誌即売会のように、小さな店を多数回る前提の場所で最もよいキャッシュレス決済システムは、出店者が発行した注文カードを運営が取りまとめて支払わせるというものだ。幸運なことに、同人誌は本来その場で受取る必要のない性質のものだし、家で落ち着いて読みたいのならまとめて配送した方が明らかに効率がよい。同様のシステムは技術書典などで既に実装されているが、決済のタイミングがブースでの購入時ではないという点で大きく異なる。
さらに、これは副次的なメリットだが、 お祭りの空気 に乗せられて受け取ってしまった注文カードでも、支払う前に本当に欲しいものか考え直すことができる。もちろん、これまでそういう お祭りの空気 で儲けてきた出店者にとっては、この上ない災難になるだろうが。
いや、もしかしたら、あなたの知っている同人誌即売会では、運営にそんなことをする余裕はないのだと言い張るかもしれない。
もしそうなら、扱いきれないほどに大きくなった即売会は、もっと小さな単位に解体すればよいのだ。巨大なSNSは解体してフェデレーションすればよいと主張されてきたのと同じで、ごく簡単な話だ。
大きくなりすぎた同人誌即売会は、その場で何かを発見するイベントではなく、カタログなりインターネットなりで事前に調査したブースを回るだけのイベントに変質している。あなたが一人で回り切れなくなった同人誌即売会は、出店者を「立ち寄るべきすばらしいサークル」と「同人誌即売会の賑わいに添えられた枯れ木」の2つに分割する。つまり、あなたが立ち寄りも探索もしないサークルは、ただの背景か興味のない盆踊り大会と同じということだ。
さらに、情報が氾濫する現代であなたの目に留まるほど十分に告知を行っているようなサークルなら、通販もよく整備されていると考えるのが自然だ。そう考えると、巨大化した同人誌即売会を擁護するあなたは、もはや お祭りの空気 を味わいたいだけ、ということになる。
だからどうしろというわけでもないけどね。お祭りは楽しいのでいいんじゃないでしょうか。
さて、最後に、我々がどうして同人誌を作るのかを 集める という観点から考えてみようと思う。
我々が同人誌を作るのは、読者とのインタラクションを通じて以下の3つを集めたいと考えているからだ。ただし、その度合いは人によって大きく異なるだろう。
- お金
- 時間
- 感情
十分なお金さえ払えば、全てが円滑に動かせると思っている人は非常に多い。あなたは、5000兆円さえあれば、いつでも好きな作者に好きな作品を書かせることができると素朴に思っているはずだ。でも、それだけでいいの? あなたの大好きな作者はお金儲けのためだけにやってるの?
もちろん、お金だけが動いて時間や感情が全く動かないというケースは少ない。感情の動きをお金で示すことは、現代社会においては効率的だしトラブルが起きにくい手法だ。お金を払って買った作品をそのまま捨てる人はあまりいないだろうし、売れていればそれなりに感想だって来るだろう。
この三角形のバランスを意識しなければならないのは、むしろ十分にお金を集めたあとに、「売れた割に感想が来ないな……」と思い始めてからなのかもしれない。
作者と読者の間でこの認識のズレがあると、絶妙だった関係は簡単にバランスを崩す。例えば、時間だけではなく感情を集めたかったなろう作者が筆を折ったり、お金だけではなく感情を集めたかった作者が執筆活動を無期限休止したりする。彼らは、自分の三角形と実際に得られた三角形のズレに耐えられなくて去っていったのだ。
これは、お金のために同人誌を作ることへの批判 ではない 。作者が悲しんでるから感想を送ってあげよう、と人情に訴えかけるような話でもない。もっと根本的に、対価として何を支払うべきかを改めて考えるべきだという話である。可処分時間が減っている現代では、お金よりも時間や感情を費やすほうが難しいし、時間や感情を集めることのほうがむしろ価値があるのかもしれない。
漫画村が撲滅されて久しい。本来はお金を払うべき漫画を無料で読み漁っていた人たちが批判に晒されたが、時間や感情を費やさなかったせいで(不作為で)作家を潰してしまった人たちは、これを見て何かを感じていただろうか? たぶん、感じなかっただろう。お金さえ払えば、時間や感情を費やす義務はなくなるからだ。
僕の場合、同人誌なんて無料で公開すればいいと思っている。とりあえず、印刷してしまった分は印刷代の回収と銘打って有料で頒布しているけれど、あなたが私の作品を大好きでたくさん時間と感情を使ってくれるなら、別に無料で渡したって惜しくはない。もし仮に時間や感情の先払いで決済できるなら、そうしていただろう。ただし、現実世界では約束/契約で後払いさせることしかできないし、そうすることで時間や感情は変質してしまうかもしれない。お金と違って、価値保蔵機能も強制通用力もないのだから。
それでも、現代社会はお金で繋がる 希薄な関係 をよしとしているし、それ以外の関係のネットワークはプライベートなものとしてごく狭い範囲で独占されている。みんなと 仲良く しない限り、あなたはどこにいても生き残れない。
あなたは、どんな三角形ですか? あるいは、どんな三角形を渡す準備ができていますか?
そもそも、印刷する必要があるのか?という問いはかなり難しい。「同人誌を読むなら絶対紙で!」と主張する人も、まさか自分の声が見向きもしないサークルに届いているとは思うまい。気に入った作品がPDF版しか発行されていないと知って「紙で読みたいから印刷してください!」と直談判する熱量がある人は、かなり貴重な存在だろう。
我々がそういう 潜在読者 の購買機会をどれほど意識すべきかを決定するには試行錯誤が必要だし、実際にアンケートを設置して反応を待ったりもした。しかし、これまで特に回答はなかったので、少なくとも同人サークルを運営する上で優先的に意識する意味はなさそうだ。刷り続けてもいいし、刷らなくてもいい。
希薄な関係 とはそういうものだ。
ところで、この エッセイ は、ラブホパネルを作った過程の話をしたらウケるんじゃないかという案に基づいて書かれている。
エッセイで重要なのは、それが本当に起こったかどうかよりも、その話が 誰かのリアルな人生である というラベル自身だと思う。あなたがそれを疑わず、revealしようとしなければ、事実かどうかは問題にならない。そう考えると、日常で自らが経験した些細なことを、架空のキャラクターが面白おかしくポップに動き回る漫画として表現した 絵日記 は、ある種の解決策なのかもしれない。
架空のキャラクターが動き回っている漫画に 絵日記 というタイトルを付けたとして、それが現実で起こったかどうかは、(エッセイと同様に)重要なことではない。分かるのは、何らかのエピソードを架空のキャラクターに落とし込んだということだけだ。実際のところ、あなたがその真偽を確かめる術はないし、それをrevealしてはならないという戒律の下で生活している限りは、大きな問題にはならない。
とはいえ、人が吐き出すものが経験からできあがっているとしたら、どんな創作物も究極的にはただの 絵日記 でしかないのかもしれない。そうだとしたら、やっぱり少し悲しい。だからみなさんには、そういう 絵日記 をたくさん描いてアップロードしてほしいと思う。
さらに言えば、これはボイスチェンジャーを挟んだバーチャルな存在の構造とよく似ている。すなわち、ボイスチェンジャーの性能が十分に高いとすれば、ボイスチェンジャーを挟んだ声であることだけが明らかになり、その後ろで話している人間の性質について知られることはない。これは、ボイスチェンジャーを挟んだこと自体の判別とよく似ているが、その本質は全く異なる。フィルターの有無は常に公開されていて、そのフィルターをrevealすることだけが禁じられているのだ。
そういえば、最近いろいろなところで釣りが流行っているみたいですが、何かあったんですか? たぶん、どうでもいいことだとは思いますが……。
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