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「不在の百合」についての補遺

私が初めて「不在の百合」という言葉を聞いたのは、文化祭で夜差さんが私のクラス展示を見ていたときだった、と思う。

イベントに対するやる気も結束もない私たちのクラスが文化祭の展示として選んだのは、休憩所兼写真展という、いかにも準備や運営に手間がかからない省エネ企画だった。しかも選んだ、というほど能動的なものではなく、この案しか出なかったのでこの企画に決まったというだけ。突然「文化祭の喧噪を離れた癒やしになるんじゃない?」と自信満々に提案した朝倉さんは写真部所属で、展示の内容は全部自分で準備するというのだから、誰も反対するわけがない。

今思い返すと、朝倉さんのことが嫌いになったのもこのときだった。

当然、こんなクラスだから文化祭の前日準備にも全く人が集まらない。朝倉さんも、まさか力仕事まですっかり押し付けられるとは思わなかっただろう。休日は首から黒いカメラを提げて街撮りしてます、という姿が容易に想像できる地味な印象の朝倉さんは、やはり予想通りの非力さだった。

そんな彼女を見かねて、写真を貼るための大きなキャスター付きの有孔ボード運搬を手伝ったのが藪蛇だった。運び終わるや否や、展示の監視係を引き受けてほしい、と頼まれてしまったのだ。

初めは断ろうと思ったけれど、よく聞くと、二日間あるうちの初日の昼過ぎから一時間ほどだけでいいと言うので、仕方なく引き受けた。一時間くらいなら自分でやってよと反論していたら、初日はずっとこの固いパイプ椅子の上で過ごすことになっていたかもしれない。私は昔から少し親切すぎるところがあるのだと思う。

パンフレットには「写真展」という名前で掲載されているが、実質的には朝倉 先生 の難解な個展だった。

それなりに工夫して並べられたであろう綺麗に印刷された写真には、公園のベンチとか、夕日の差す文化部棟の踊り場とか、人のいない校門とか、そういうまとまりのない写真ばかり。共通点を挙げるとすれば、徹底して人物の姿が排除されているところくらいで、朝倉さんが何を伝えたくてこの写真を集めたのか分からない。見知った場所の普段着姿を写したような印象の薄さと相まって、あくびを誘う展示になっていた。

「あ、東雲さん。監視、ありがとう」

焼きそばとパンケーキのコンボは食べ過ぎたかな、と椅子に座って静かな教室の中でウトウトしていた私は、突然名前を呼ばれて飛び起きた。声の主が朝倉さんだと気付くのに少し時間がかかり、もう一時間も経ったっけ、と慌てて腕時計を見ると、まだ十五分も経っていない。それから、彼女の後ろにもう一人制服姿の女子が立っているのに気付く。

そのお客さんが夜差さんだと分かったとき、私はもう一度飛び起きた気がした。

夜差さんは、有名な写真のコンテストで金賞を取った経験のある写真部のエースだ。全校集会で何度か賞状を持って壇上に上がるのを見たことがある。彼女は美しいシーンを感じたままに切り取るセンスが抜群で、コンテストの写真は今にも画面に収まる鷹が枝から飛び立ちそうな躍動感を持つ完璧な仕上がりだった。

カメラを片手に海や山を駆け回る活発で明るい姿は男女問わず人気で、学校だよりの表紙はいつも彼女が担当していた。自分には決してたどり着けない美しさを知っている。だから、私は夜差さんが好きだった。でも、夜差さんは私のことなど知らないだろう。話したこともなかったから。

どうやら、自分の休憩時間にわざわざ夜差さんを連れて展示を見せに来たらしい。申し訳程度にたった一時間だけ入れられた私のシフトは、どうやらこの デート のためだったようだ。別に朝倉さんに夜差さんの話をしたことはなかったから、牽制しようなんて思ってもいないだろうけど。

「夜差ちゃん……えっと、どうかな?」

「朝倉は『不在の百合』が好きなんだね。私も今後伸びるかなって思ってるけど、朝倉はどこが好き?」

「私はね、写真に可能性を付与できるところが気に入ってるの」

「見た人の解釈でベストな受け止め方ができる、ってところかな。でも、それは――

百合、というのは女の子がいっぱい出てきて仲良くしたり、女の子同士で恋人になったりする作品のジャンルだろう。力が強いだけの男が偉そうにしゃべるシーンがなくてストレスが少ないので、たまに読んでいた。彼女たちの話を聞きながらスマホでいろいろ検索してみると、どうやら「不在の百合」はこういう誰も写っていない風景写真を撮るものらしい。

百合なのに誰も写っていない、とはどういう面白さだろう。写真家の考えはよく分からない。百合っぽい写真にしたいなら、女子部員を引き連れてポートレートにすればいいのに。サイトの説明を鵜呑みにするなら、今壁に貼ってあるような誰も写っていない写真を見て、そこに女の子が二人立っている風景を想像できるのが、まさに「不在」で「百合」という意味らしい。

公園のベンチに、踊り場に、校門に朝倉さんと夜差さんが立っている。どういう顔をしているか分からないけど、不自然というほどではない。朝倉さんが自分の 個展 に招待するほどだし、たぶん仲も悪くないだろう。休日の買い出し中、部室に行く途中、下校の途中なんてタイトルを付けるのも簡単だ。そうしないのは、夜差さんに隠した想いを伝えるのが怖いから?

小説は文字での表現だからこそ、想像を膨らませて豊かに楽しめる魅力を持っていると聞いたことがある。小説の安易な映像化や実写化が批判されるのは、それぞれの頭で膨らませ続けた完璧な想像には遠く及ばない描写を、分かりやすく具体的な姿で提示してしまうからだろう。結末がはっきりせずに終わるゲームと同じようなものだ。

つまり、朝倉さんがやりたい――つまり「不在の百合」が目指している――ことは、誰かの想像力に寄りかかった写真だ。誰かの想像力によって完成する、不完全な写真だ。彼女は不完全な写真を撮って、さらに恥ずかしげもなく夜差さんをここに呼びつけたのだ。

そんな彼女の不誠実さに思い至ると、急に怒りと恥ずかしさが一緒に湧き出して、パイプ椅子を蹴飛ばして駆け出したくなる。クラスの展示なんてどうでもよかったのに、ただこの写真展だけは、今すぐに中止すべきだと思った。朝倉さんは彼女が尽くせるだけの努力をして、この展示を完璧に仕上げるべきだと思った。あなたが夜差さんと写る写真が完璧ではないというなら、私と夜差さんで完璧な写真を作ってやる。

朝倉さんはずるい。私と同じように夜差さんに惹かれているのに、ずっと曖昧な立場で彼女の側に座ったままだ。もし「不在の百合」が完璧なら、誰かの想像力に任せるのが完璧なら、朝倉さんも私も今すぐ消えてしまえばいい。こうして秘めた思いと一緒に、フィルムの裏側に隠されてしまえばいい。

もし、夜差さんと写真について語り合える世界があるのなら、不完全な写真を引きちぎって叫びたくなるこの衝動を感じずに済んだだろうか。私は祈るように、誰もいない休憩所のベンチに向かってスマホのシャッターを切った。


百合SS Advent Calendar 2022