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2024/05/10 23:41

こんばんは。お久しぶりです。

前からなのかもしれませんが、文フリの公式がSNSでの告知方法として
作品それ自体だけではなく、ご自身のシチュエーションや個性が垣間見えるような、そんな「わけありげ」な投稿を狙ってやってみることをオススメします!」と推奨していました。作品ではなく誰が作ったかが重要であることが、「文学フリマ」にとっての「自分が〈文学〉と信じるもの」なのだろうかと疑問に思いました。作者自身が〈文学〉になることを目指すのだとしたら、面白い取り組みだとは思いますが…… - ???

お久しぶりです! お返事遅れてすみません。

確かに、リンク先の「出店お役立ち情報」には、「『作り手が見える』投稿が効果的です」と題して作者と作品を接続する取り組みを推奨する内容が記載されていますね。これはどうも、来場者から直接「お品書きなんか参考にしてないよ」「作者に共感してここに来たよ」という声があり、それを参考にしたアドバイスのようです。確かに、昨今のインターネットのようにSNSを積極的に活用し、Xアカウントとべったりした作風の人なら「作者自身が〈文学〉になる」ことは効果的なのかもしれません。しかし、そういう人はこんなこと当たり前に実践しているし、そうでない人はこうして意義自体に疑問を持つという、対象者が存在しない典型的な役立たず情報だと感じます。

もともと文学フリマは「自分が〈文学〉と信じるもの」ならなんでもありという即売会です。過去に僕のサークルではフロッピーディスクレシートの切れ端を売ったりしていましたし、割と平気な顔で写真集をメインに頒布しているサークルもありましたね。これは、即売会の運営が頒布物について規定しないという意味では公平で正しい姿勢に見えます。一方で「これは文学か?」という問いに主体的に答えることを嫌い、その責任から逃げ続け、さらに悪いことにそれ自体を理念としているという意味では、間違っていると僕は考えます。文学フリマ事務局は、今回のコメントのような「作者自身が〈文学〉になる」ことさえ、肯定も否定もしないでしょう(このアドバイスでは明確に肯定していますが、そもそもこれが一組織として統一された見解なのかはかなり疑問です)。文学フリマが〈文学〉と信じるものかどうかを判断することはなく、そもそもこのアドバイス自体、利用者の声を鵜呑みにした仮説にすぎません。そういう意味では、最も文学フリマらしさが現れている箇所でもあります。

僕は昨年までサークルとして文学フリマに参加していて「定義がないのがいいところ」なんてのんきに考えている時期もありましたが、ただいたずらに規模を拡大し、その規模に文学フリマ自身が追いつけなくなり、それでいてそもそも文学に対する理念が薄いのではどうしようもありません。コロナ禍の下で人々が自粛してあらゆる活動が強烈に鈍化した体験を経て、あらゆる調整弁が壊れてしまった気がします。結局、コロナ禍の空気が薄れて飲食店の出張販売が復活しても、2019年まで開催されていた懇親会が戻ってくる気配はありません。

昨年投稿した「さようなら、大きくなりすぎた文学フリマ」ではそういう思いの一端を示しましたが、臆病なのにマッチョな人間が大量に集まって一方的に文句を言い始め、中小同人誌即売会の運営者がポジショントークで陰口を叩き始め、もちろんかれらは読者として定着せず姿を消しましたね(本当はかれらと楽しく飲みに行きたいのですが、このコメントを読むこともないでしょう)。

結局、文学フリマがサークルに対してこのようなアドバイスを行うのは、文学フリマ事務局自身が、おそらくは「文学フリマ」というブランド力に自信がないか、即売会という場を積極的に制御しないことを未だに理念として持っているからだと思います。文学フリマのサークル参加者で「文学フリマってこういうところだよ! 来てね!」と説明できる人はいるでしょうか? では、コミックマーケットやCOMITIAだったらどう説明しますか? 他のお気に入りの即売会でもかまいません。その違いはなぜ生じるのでしょう?

もちろん、即売会というのは運営が全てを形作るのではなく、主にサークルと来場者の出会いの中で作り上げられるものですが、このアドバイスには「文学フリマという出会いの場」を提供する矜持はなく「サークル参加者の集客力」に寄りかかる姿勢しか感じません。文学フリマという「場」が私たちに何も示してくれないのなら、いずれにせよ私たちの文学は私たちで探すしかないのです。

SNSで作者の個性をもって集めた来場者に、文学フリマという「場」の必然性は伝わるのでしょうか? 作者自身の集客力というサークル間の競争をアドバイスとして明示することで、文学フリマという「場」にどのような意味を与えたいのでしょうか? 今回いただいた問いと少し似ていますが、僕も同じような疑問を持っています。

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